2019年|I am a yellow

2019.11.23

顔は、すべての人に等しく付随している。
それは、常に外部に向けて露出し、そのもの固有の表れである。そして、個人個人のさまざ まな感情や欲望は、表情という形で現れ、時に相対する人に誤解を与え、反感を生じてしま うこともある。時にその感情は複雑にもつれ、関係性の亀裂として現れることも度々ある。

顔の造作を自身で好むとは限らない。むしろ多くの場合、自身の外見に不満を覚えている。そのため、よく見せたいという欲求から化粧、眼鏡、装飾物などで装う。また、美容整形などで、顔そのものを変貌させる場合もある。これらは、時々の流行やモードに即した変身欲求や、切実で純粋な変身願望、人体改造への激しい欲望まで含んでいる。

また私たちは、人種、民族、性別、服装など外観の違う相手と向き合う時にさまざまな問題や齟齬、誤解、軋轢を引き起こす。お互いに、「私のようではない」他者に対して、怖れが生じ、違いがある、という当たり前のことを容認できないからだ。しかしそのような、差異という至極当然の現象がその者の身体だけではなく、社会的政治的に影響を及ぼすことがある。芸能、スポーツ、政治の世界に、それが現れていることは言うまでもない。

私自身は、中学生になって制服のスカートを穿いた時に、自分が女性であることを強く意識するようになり、毎日鏡を見、化粧をし、外面の美醜にこだわるようになった。これは外から自身を認知したことで、内なる感情が意識化していったものであると思う。そのときから今日まで、鏡の中に見る私自身を拒絶したいという強い気持ちを抱えながら、私自身は形成されていった。

今作のタイトルは『I am a yellow』とした。黄色人種(もちろん私自身も含めて)が制作のテーマである。作品で制作した絵画はドナルド・トランプ、マイケル・ジョーダン、マイケル・ジャクソンなどでここに“yellow”はいない。いや、“yellow”はこれらの絵を描いた“私自身”である。 この絵画は、私が抱き続けている“活き活きとした他者”への賞賛であり、共感であり、哀れみであり、可笑しみのポートレートである。

水戸部七絵

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個展「I am a yellow」
(Maki Fine Arts、東京、2019年)に寄せて

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