2022年|杉原環樹(ライター)|水戸部七絵をかたちづくるもの

2022.8.26

 水戸部七絵はどのような出来事や先行作家に影響を受け、自身の作品世界を形づくってきたのか。このコラムでは作家へのインタビューをもとに、その一端を紹介したい。

「日本」と「容姿」への複雑な感情

 水戸部は教育関係の仕事をする両親のもと、神奈川県に生まれた。子供時代から標本を作るほど昆虫好き。また、スポーツも得意だった。早くから画材を与えられるなど文化的には開けた家庭だったが、東北にある本家との関係から、古風な価値観も残っていたという。そうした環境で、水戸部の重要なキーワード「コンプレックス」も形成された。
 初めてそれが現れたのは小学校時代。身近にあった日本人形やこけしに「自分に似た」妙な居心地の悪さを感じていたという水戸部は、小3の授業で戦争を学んだ際、日本軍の戦い方や死体写真に嫌悪感やショックを受け、自身を含む日本人の容姿や精神性に負の印象を抱き始めた。さらに中学に上がると、それまでの「男女が関係ない幸せな時期」が終わり、周囲が性差を意識し始めたことに戸惑いを覚え、「女性は美しくあるべき」との考えから自らの容姿に強く気にするようになった。「なぜ人は、容姿や肌の色で様々な問題を抱えたり起こしたりするのかという関心があった」と水戸部は話す。
油絵を意識したきっかけは、小学校高学年の頃に上野でゴッホ展を見たことだ。その後、大学受験のため初めて油絵を描いた。2007年に入学した名古屋造形芸術大学では、果物や食器などの伝統的な絵画のモチーフを再構成する作風で知られる画家の長谷川繁に師事。「自分のなかの絵画原理主義的な考え方は長谷川さんの影響が大きい」と語る。当時からのちに水戸部の代名詞となる「厚塗り」は現れており、高校と大学にはウィレム・デ・クーニングらの抽象表現主義やジュリアン・シュナーベルらの新表現主義、ニコラ・ド・スタール、ゲオルグ・バゼリッツ、アンゼルム・キーファーなど、「自分の描き方に合った」画家の作品を盛んに吸収した。
 そもそも水戸部に厚塗りの傾向があるのは、コンプレックスから人の顔を描くのが苦手となり、画面上で逡巡を重ねるうちに結果的に絵具が厚くなった経緯もあるという。そうした画家にとって非常に大事なモチーフが、大学3年生の頃、死後に公開された映画を機に関心を抱いたマイケル・ジャクソンだ。生前、人種的な葛藤や容姿にまつわる噂が絶えなかったこのポップスターを、その映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年)の場面をアイコン的に描くことに始まり、現在まで、水戸部は繰り返し作品に登場させている。この対象との出会いは、その後、著名人の肖像を多く描く出発点にもなった。

アメリカ滞在が与えた開放感

2014年、マイケルや、イタリアのポルノスターで政治家のチッチョリーナなどを描いた絵画で初個展を開いた水戸部は、その年の夏から秋にかけてアメリカを訪れた。このアメリカ滞在は、様々な意味でその後の作品を方向づける、とても重要なものだった。
 まず大きかったのが、この滞在を機に、日本への負の感情と西洋への憧れというコンプレックスから少し距離ができたことだ。ここには複数の出来事が関わっている。ひとつはメトロポリタン美術館で目にした資料で、石膏像の原型の古代彫刻にもともと着色がされていたことを知ったこと。ときに部分の欠落こそが「美」とされる石膏像は、以前より水戸部の興味の対象であり、のちに絵画に貼付もされた馴染みあるモチーフだが、予備校時代にその「白さ」こそが美しいと教えられた水戸部にとって、この発見は衝撃だった。
 ヒッチハイク的にアメリカを旅し、ネバダ州の砂漠で絵を描いたり、ヌーディズムの文脈でも有名なハービンなどで様々な人と交流したりしたことも大きかった。「それまで日本では人の顔は美しく描くべきとの強迫観念があって、その葛藤が失敗作的に厚塗りへとつながっていた。でも、アメリカで多様な人種の人に触れることで、コンプレックスを気にせずフェアに絵に向き合えるようになった」。この開放感は帰国後、「純粋に絵画のために描けた」と語る抽象的な顔のシリーズ「DEPTH」(2014年〜)にそのままつながった。
 また、アメリカでは「人生で一番影響を受けた美術館」と語るニューヨーク州ビーコンのディア・ビーコンや、ソーホーにあるドナルド・ジャッドのアトリエ「101 Spring Street」も訪問。前者の「作家のやりたいことをそのまま実現できる広さを備えた空間性」や、ジャッドやジョン・チェンバレンらの立体作品に感じる強い「圧」に刺激を受け、「このスケール感を日本に持ち帰りたい」と感じたと話す。

現代アートだからできる

 この2014年以降、水戸部は頻繁に海外へ行くようになり、国外の美術を通して自身の制作を内省する機会も増えた。その結果として現れた変化を、形式に対するテーマ(内容)の前面化や、脱絵画化=メディアの多様化などと呼ぶことができるかもしれない。
 それまでも人種問題などの社会的なテーマに関心を寄せていた水戸部だったが、日本では絵 の技術や厚塗りという面にのみ注目が集まり、一方で社会的な関心は語りにくい空気を感じていたという。「でも、海外に行き始めて感じたのは、海外では絵画の表面的なあり方やジャンル性ではなく、そこで描かれるテーマこそが重要ということだった」。
 そうした海外との接触においてとりわけ重要だったのは、アメリカのアーティストでキュレーターのカルースト・グーデルが企画した2015年のグループ展「Excessivist Initiative」(LA Artcore)に端を発する、「Excessivism」(過剰主義)という動向だ。
 その名の通り、画材や素材を過度に使用することで、アート作品の商品的な側面や資本主義そのものへの批判も含んだこの動向を水戸部が知ったのは、2016年に愛知県美術館における自身の個展で約1トンの重さの絵画を制作・発表し、批判の声も聞いた後のことだった。関心のある作家について調べるなかでこの展示の存在にたどり着いた水戸部は、その参加作家たちに自分との近さを感じたという。同時に、例えば艾未未(アイ・ウェイウェイ)が植物の種子や椅子を素材として大量に使っているように、その参加作家たちが絵画や彫刻以外にも多様なメディアを用い、ときに視覚的な「美しさ」を逸脱していることにも刺激を受けた。
 「まだ絵画のようにはジャンルとして定まっていないものも、あるテーマや指標のもとで表現できるのが現代アートであり、逆にテーマがあるからこそ現代アートなんだ、と。作品が持つ政治性や社会性は、アートがただのインテリアのような視覚的に美しいものから脱する手段でもある。この頃から絵画以外のジャンルにもすごく興味が出てきた」と水戸部は話す。
 考えてみれば、もともと水戸部が好きな画家は、画面に陶器を貼るシュナーベルや絵を上下逆さまに展示するバゼリッツなど、絵画らしさにこだわらない画家だった。この時期から水戸部は画面にオブジェを貼るなど、絵画のフォーマットをより崩すようになった。

ロックを通したアートの精神の提示

 「過剰主義」への共感に見られた、疑問も含むアートの商品化への関心がテーマとして前面化したのが、2021年に発表した「Rock is Dead」シリーズだ。
これに先立ち、水戸部は2017年頃から、ドナルド・トランプの米大統領就任や日本のアートマーケットの活況に反応し、トランプを作品に描いたり、株を購入したりと、経済に興味を寄せていた。その意味で、水戸部の資本主義への姿勢は一面的ではないのだが、他方で新興コレクターの台頭によるアートバブル的な状況や、その投機的な動きには危機感を抱いており、海外で「ゾンビ・フォーマリズム」などと批判される、空疎な抽象画が高額で売買される状況にも意識を向けていた。
 そうしたなか、水戸部が「Rock is Dead」で参照したのがロック音楽だ。ロックの歴史に見られる、ノイズや他の文化を積極的に取り入れて新しい音を求める動きと、その一般化や商品化による消費という、二つの力の往復。この消費による表現の形骸化と、そこから逃れようとする意志は、まさに水戸部がアートに感じる危機感であり、可能性だった。
 デヴィッド・ボウイなどのロックスターを描いた親しみやすさと、それに反して扱いに困るような絵画としての過剰さ。このギャップを通して同シリーズでは「鑑賞者をいつの間にかより深いアートの体験に導くことを目指した」という。また、ここにはポップ・アート的なアートと消費社会の関係への言及もある。とくに展示に当たっては、日用品を元にした彫刻を店舗風の空間に並べたクレス・オルデンバーグの1961年のパフォーマンス《ザ・ストア》を参照したと話す。

足元が揺らぐ世界のなかで

 一方、2020年に制作が開始された「Picture Diary」は、同年からのコロナ禍のなかで生まれたシリーズだ。
 移動の制限で海外に行けず、アトリエに籠るようになった水戸部は、この頃から日常的に広く海外のニュースをリサーチするようになった。そのツールは主にSNSであり、描かれるのは水戸部が偶然目にして関心を持った、海外メディアによる幅広いジャンルの報道の画面そのものだ。世界が異例の事態に直面したその日々を、ある種ルポルタージュ的、ジャーナリズム的に記録するこの営みは、制作日だけを描いた絵画を当日の新聞とともに箱に収める、河原温の「日付絵画(Date Painting)」を意識したものでもあるという。
 SNSとのつながりで言えば、同シリーズや「Rock is Dead」などを展示した2022年の個展のタイトル「I am not an Object」(東京オペラシティ アートギャラリー「project N 85 水戸部七絵」)も、SNSでたまたま見つけたものだ。性的マイノリティへの差別や、セクシャルハラスメントへの抗議の意味も持つこの言葉の選択にも感じられるように、水戸部の関心は近年ますます社会的な事象に向かっているようだ。
 なかでも、幼い頃からの人種への問題意識から、2020年のブラック・ライヴス・マター運動や、それを端を発して世界的に起きた偉人像の撤去、およびそれに連なる過去の人物の問い直しの動向には関心を寄せている。例えば2020年、大英博物館の基礎を築いた人物であるハンス・スローンの胸像がその奴隷貿易との関わりから撤去されたとの報道には、「これまで普遍的で永続的と信じていた価値観が揺らぐような驚きを感じた」という。そうした葛藤のなかで自身の作品をどのように制作していくのか、いまも模索は続いている。

[構成・文 杉原環樹(ライター)]

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水戸部七絵『Rock Is Dead』
カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社・美術出版社書籍編集部/2022年/pp.106-111

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