2016年|野中祐美子(金沢21世紀美術館 学芸員)|レビュー:APMoA Project, ARCH vol.18 水戸部七絵「DEPTH-Dynamite Pigment」/水戸部七絵「DEPTH-Tranquil Pigment」

2016.6.25

 同時期に2カ所の会場で「Depth」と題した展覧会が開催された。両会場には我々の身体をはるかに上回る巨大な絵画が鎮座し、いくつか小品も紹介された。共通する体験として、会場に足を踏み入れる前から漂う油 絵具の匂い。重層する絵具とその スケール感。イメージになりきれない物質としての絵具。これらの作品は「顔」であるのだが、本当のところ 何を描いているのだろうか?
 水戸部は自身の絵画の特徴を「物質感と色彩」だと言う。さらに、絵画を成立させる条件として「地と図」、すなわち「背景とイメージ」のやりとりが欠かせないことも主張する。水戸部はモダンアートの絵画論を学び、その延長上で絵画の問題 意識を、ある意味とても素直に引き受けているように見える。
 モダンアート以降、絵画は平面性へのこだわりから解放され、絵画それ自体を規定する枠組みが崩壊した。水戸部はそのような現代において、なおも絵画であるための必要条件ぎりぎりのところで格闘している。彼女の「地と図」の関係は、一歩油断するとたちまち図が支配しかねないほどにせめぎ合う緊張感を持つ。
 「地と図」の関係と並び、水戸部の作品を絵画たらしめようとしているのは、絵具の層であろう。過剰なまでの厚塗りは、否が応でも絵具の物質感を観る者に与え、強烈にモノとしての絵画を露にする。絵画とは本来、絵具の層により成り立っていることを認めざるを得ない。水戸部の絵画が絵画としての強度を増すのはまさにこの点にある。絵具の層、それは水戸部自身が絵画と向き合ってきた時間を視覚化したものだ。「Depth」とは、絵画それ自体の「厚み」はもとより、まさにこの描く行 為の時間的な「深さ」を表わしている。
 「顔」というのは本来、個人を同 定するのに最も確実で解りやすい人間の部位である。が、水戸部が描く「顔」は匿名の顔、もっといえば顔なのかすら曖昧である。しかし、筆者は水戸部の作品を前に、図らずも実は人間の顔というものを如実に表わしているように感じた。人は内面や生き様によっていくつもの顔を持 ち合わせる。年齢や経験を重ねるごとに顔は変化する。水戸部の作品は、人間の顔そのものを象徴するかのような、不確定で曖昧、それ故に人間くさい「厚み/深さ」を持ち合わせている。
 水戸部が描こうとしたもの。それは、徹頭徹尾、絵画の本質であり、絵画に伴う行為や時間が、私たちが 最も不動だと思っている「顔」を捉えることで、実はその本質を写し出すこととなる。これこそ水戸部が絵画にこだわり続ける理由なのかもしれない。

野中祐美子(金沢21世紀美術館 学芸員)

--------------
野中祐美子「レビュー:APMoA Project, ARCH vol.18 水戸部七絵「DEPTH-Dynamite Pigment」/水戸部七絵「DEPTH-Tranquil Pigment」」『REAR:芸術批評誌』37号2016年
リア制作室/2016年/pp.176-177

Return to TEXTS LIST