顔は、自己と他者の境界線である。境界を侵犯し外部に触れると、さまざまな齟齬や誤解など、摩擦を引き起こすことがある。それが時には暴力を誘発し、戦争にまで発展する。
顔は、感情が露わになる部分であるが、心理を隠すこともできる。また、化粧や整形といった営みは普遍的な美を模倣するようにみえるが、一方で固有性を失い、差異のない顔、均質化された顔を生み出す。
ここに白・黒で描いた絵がある。特定の人物を描いたものではなく、匿名の顔である。絵画を描く上で決めた唯一の条件は、白いキャンバスには「黒い顔を描くこと」。黒皮鉄の支持体には、「白い顔を描くこと」。そして白・黒の色彩の中に、海から採ってきたグレージュの砂を少しまぶした。
肖像画を描くこと、他人の顔を扱うことには責任が伴う。一方、モチーフとしての他者の顔を見つめることは逆説的に自己を見つめ直すことでもある。色を選び、形を造形し美と醜を判断するプロセスはほぼ無意識の中で行われる。同時に自己の中に眠る差別意識に気付かされ、取捨選択を迫られたりもする。この行為の繰り返しから、顔の絵ができる。顔を描く行為は、いわば自身を問い詰めた末の、他者・自己への認識像である。他者を描くことで、私という自我が芽生え、自己が浮き彫りになってくるのである。
水戸部七絵
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個展「黒い顔・白い顔」(rin art association、群馬、2023年)に寄せて